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5230製作記(11)

形式5230

先週、九重高原鉄道の平尾さんからご指摘を頂いた衝立の縁取りを付けた。
最初は衝立を半田付けしたままの状態で縁取りを付けようとしたが、なかなか固定が上手く出来ず、結局ミニ・バーナーで熱して衝立を取り外してから行った。
縁取りそのものは、1mmX0.2mmの真鍮の帯材で衝立の外周に沿って半田付けした後、ヤスリで幅が0.8mm程度になる様に整えた。
横着を決め込んでいたのだが、こうして付けて見ると、成る程、一層らしく見える。
平尾社長にお礼を云わねばならない。
そして、長岡京市のK氏より、追加の情報を頂いた。
金田茂裕氏の『日本最初の機関車群』の巻末に解説があって、このテンダーの『「給水口は・・・左外側で防風板の後の位置に置かれた」と、給水口は左側「だけ」にあったかのように読める書き方をされている』とのこと。
K氏は氏の見解として「私には左側だけなのか、左右にあったのかの判断根拠となるべき材料はありません。しかし、もし右側に無かったら、機関庫の給水設備にも影響が出そうに思いますので、右側にも給水口があったという想像には変わりありません。」と述べられている。
さて、どうするか????
左右対称にあれば据わりも良いだろう。
ただ、面白みには欠けるよナァ。
元々、不精な小生がこんなことを云うのは何だが・・・。
と云うことで、小生は金田説を採用し、給水口は前方左側1箇所にした.。
(写真では良く見えないが、既に右側の給水口は取り外してある。)
両氏には、小生の取るに足りないブログを見て頂き、貴重な情報を寄せて頂いたり、又、無精癖を正すべく鋭いご指摘を頂いたりと、本当に有難く、この場を借りて、心からお礼を申し上げる次第。