2004年8月13日

外来語

 つい2ヶ月前の6月に、国立国語研究所が3回目の『「外来語」言い換え提案』を行った。確かに、カタカナ語が氾濫している様に思える。ひどい例では、ちゃんとした日本語があるにも拘らず、わざわざカタカナ語に置き換えているものさえ見掛ける。日本文化を大切に守って将来へ残そうとするこの研究所のこうした提言を小生は歓迎するが、所が、この研究所のホーム・ページにある9件の新着情報を見ると、フォーラム、コーパス、ブックレット、ダウンロード、アンケート、データと6つの外来語が使われている。流石にこれらの外来語は、過去3回の言い換え提案に挙げられていないので、現時点では使用して差し支えないのかも知れないが、何か違和感を感じてしま
う。

 この研究所の他、国語審議会でもカタカナ語についてかなり以前から問題視し、提言を行っているが、ここでは、小生の意見を誤解を恐れずに発表させて頂く。

 日本でパソコンが世に出始めた頃の『I/O』、『ASCII』等のパソコン雑誌は、それこそカタカナ語ばかりの文章であった。主語や形容詞、述語がカタカナ語、助詞だけが日本語の文章がずらりと並んでいた記憶がある。コン
ピュータに興味を持ち始めた小生はこんな雑誌を片っ端から読んだが、意味がさっぱり理解出来なかった。例えば「コンピュータをリセットする」と云う簡単な文章を例にすると、「コンピュータ」は英和辞書では「計算機」の訳が付けられているが、何故「計算機」なのか理解が出来なかった。表計算ソフトの様に自分で明示的に計算式を
入力し、その結果を表示させる場合等はそれ程違和感を持たなかったが、ゲーム等で、弾丸が飛んで行く様(さま)や標的に当たって爆発する様子を見ても、「計算機」には中々結び付かなかった。しかし、「コンピュータ」は具体的な物体として目の前に存在しているので、「計算」の概念と結び付かなくても未だ理解し易い方であった。これに対して「リセット」は理解し難い。先ず、英語の綴りを類推し、辞書を見ると「再び置く[据える、はめる、組む]、(活字)を組み直す」と訳がある。従って、「コンピュータをリセットする」を和訳すると「計算機を再び置く・・・」となり、意味をなさない。何度か同じ文章に出くわしている内に、何となく意味合いが解かって来るようになり、今では当たり前の様に使っているが、独学の悲しさで大きく回り道をしたことになる。

 結局、カタカナ語が氾濫している現在は、これと同じ状態に社会全体が陥っているのではないだろうか?カタカナ語を口にしている本人も意味が良く解かっていないまま使い、一方、その言葉を聞いた本人も良く理解していない。お互いに何となく解かった積りでいる。

 職場で仕事に関係する情報を読んでいると、「今週は目立ったサプライズがなかったので・・・・」と云う文章に出会った。日本語で云うなら「驚くべき事実」とでも云うべき所を、この著者は敢えて「サプライズ」と云う言葉を使っ
ているからには、何か特別な意味合いを持たせているのかと思ったが、その文章を読み進んで行く内に、単なる恰好付けでしかないことが解かった。結局、中身の薄さを表現方法で補おうとする技術的な意味合いでしかなく、以降この著者の文章は読む気がしなくなった。

 しかし、問題は、こう云ったカタカナ語の使い方が「新鮮で恰好が良い」と思われ、世間に広まることにある。私たち日本人は、明治以降積極的に、あるいは貪欲的に西洋文明を取り入れ消化し自分のものにして、現在の繁栄を築いて来た。日本人の柔軟さ、優秀さを表すものとして自慢して良いと思うが、残念なのは、その文明を日本語で表現する努力を怠って来たことである。日本語には、表意文字である「漢字」と表音文字である「平仮名」と「片仮名」があるので、その使い分けをするだけで事足りたと云う側面は否定出来ないが、これだけカタカナ語が氾濫している状況を見て眉を顰めたくなるのは小生だけではないと思う。

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