2004年6月30日

愛煙家の独り言

 2002年7月に成立し、2003年5月1日から施行された「健康増進法」によって、「たばこの喫煙問題」つまり「受動喫煙」 が俄かにクローズ・アップされて来た。即ち、同法25条では、 「不特定多数の人が集まる施設の管理者に受動喫煙を防止するために必要な措置を講ずるよう努めなければならない」と規定され、学校や病院、 官公庁、飲食店、商店、ホテル等の施設や鉄道車両、バス等の公共の乗り物などで喫煙することが全面的に禁止された。

  これはこれで結構なことだと思うが、 実際面の運用に当たって少々極端過ぎるのではないかと思える場面が多数ある様に感じる。日本人の真面目さと云うか、融通のなさと云うか、 余裕のなさと云うか、極端さの表れと云うか、特性だから仕方がないかも知れないが、真面目の前に何か一文字付くのではないだろうか?

 例えば、駅のホームの喫煙場所は、ホームの外れに置かれて喫煙者しか集まらない様な非常に不便な場所に設置されている。 愛煙家諸氏はこれに異を唱えることもなく、唯々諾々として受け入れて来た。ギュウギュウ詰めの電車に揺られて着いた駅で、 フッと息を付く僅かな時間を楽しんで来た。しかし、これも5月以降、7:30?9:30の間は禁止されてしまった。 嫌煙者が近付くことのないホームの外れであって、受動喫煙の可能性が殆どない状態にも拘わらずである。もし仮に、嫌煙者がこの場所に近付き 「受動喫煙云々」と云うなら、これは愛煙家に対する「嫌がらせ」と云うしかないだろう。それにも拘わらず、嫌煙者の意見のみが、 一方的にまかり通っている様に思えるのは、愛煙家のヒガミだろうか?

  東京都では、路上喫煙も禁止している区が増えて来ている。勿論、人通りの多い路上では喫煙しないことや、 吸殻のポイ捨てをしないことはマナーとして愛煙家が守るべきものであることに違いはないが、戸外も禁煙、 喫茶店の様な人が集まる屋内も駄目となると、紫煙を楽しめる場所は事実上皆無となってしまう。これでは、嫌煙権以前に人権問題ではないか?

  同じことが家庭でも行われている。今までは茶の間で吸っていても全く問題とならなかったのが、 台所の換気扇の下でしか楽しめなくなり、次にはベランダが喫煙場所として指定され・・・・。 愛煙家諸氏はこれまで以上に肩身を狭くして遠慮しながら、一服の紫煙を楽しんでいるにも拘わらず、恰も官軍の様に「これでもか、これでもか」 と攻め立てて来る。家庭は港であり、息抜きの場所であり、明日への活力を得る場所である筈であるが、これでは家庭としての機能はなくなる。 仕事に疲れて帰って来たご主人が疲れを癒す為に2?3本の煙草を吸っている時は、「臭い」と云ったり、「咳」をしたり、露骨に「厭な顔」 をしたりするのではなく、そっと別の部屋に行くなどする位の気の使い方があっても良いのではないだろうか? こう云った気遣いが本当の意味での「優しさ」だろう。

  駅でも、街でも、家庭でも「煙草を吸わない人たちに配慮を・・・」と云う言葉が繰り返されている。 では、 これだけ遠慮している愛煙家に対する配慮はどうなっているんだ、一方的に過ぎないか・・・・と云いたい。  だから故に、 嫌煙者の意見を一方的に押し付け、愛煙家に対する配慮が見られない内は、小生は煙草を止めようとは思わない。