2010年5月22日

エギング教室


今から2ヶ月ほど前、釣り雑誌のSaltWater(地球丸社)の4月号に、南房総市で春のエギング教室受講者募集の広告があった。

小生は、これまで見よう見真似でエギングをやって来たのだが、もう一つ納得出来ない点があった。 従い、機会があれば先達から技術なり知識なりを得て、少しでもレベル・アップが出来ればと常々思っていた。 そんな所に、この様な広告を見付けたのだから、即、リアクション・バイトをするのも当然のことだろう。
募集人員は20名前後、応募者多数の場合は抽選とのことで、昨今のエギング・ブームもあり当然抽選になる筈なので、籤運のないことは人後に落ちない小生には、先ず可能性はないだろうと思っていた。 所が、思いがけず、抽選の結果OKとの連絡を貰い、22日の土曜日に参加して来た。

2:20、自宅を出発、120kmを走破して集合場所の南房総市乙浜港に到着したのは、4:30頃。
120kmと云えば、よく通っている東伊豆方面では伊東を越えて八幡野あたりの距離でそんなには遠くはない・・・と思ったが、全く走ったこともない土地では遥かに遠く感じる。 それでも時間としては1時間近く早く到着出来るのは、やはり高速を使ったためで、ルートは首都高速湾岸線・アクアライン・館山自動車道で館山まで、その先だけが一般道と全行程の内100kmが高速なので、渋滞もなく往復とも快適なドライブだった。

エギング教室の集合時刻は6:45だが、4:30頃に到着する様に出発したのは、教室開始の前にひとシャクリしておこうと云う魂胆だったのは、敢えて云う必要もないのだが、やはり週末の土曜日のことで、広大な漁港に釣り人の多いこと。 日の出時刻のこの時間でも駐車スペースには次から次に車が入って来る。

小生も空きスペースを見付けて車を止め、直ぐに支度をして岸壁に出て見ると思いの外強い風が吹いている。 エギングにはちょっと辛い位で、背に受けられそうな場所は2~3個所。 当然、その様な場所は人が入ってしまっているので、単独釣行であれば場所移動を考えている筈だが、今日ばかりはそれは無理。 仕方がないので風を正面に受ける所で、暫く時間潰しのキャスティングをして見たものゝ、釣れそうな雰囲気は感じられず、早々に切り上げ、6:30頃まで車の中で休んでから、集合スポットに移動した。

エギング教室の参加者は、女性エギンガー2名、ジュニア・エギンガー1名を含んで都合18名。 小生の偏見かも知れないが、女性の場合は当然エスコート役の男性と一緒かと思ったが、お二人共単独での参加と見受けられ、これも、やはりこれも時代の変化なのだろう・・・。

講師は、DAIWAの宮澤幸則氏渡邉長士氏のお二人。受講生を2班に分けて、最初は座学、その後は実釣しながらの講習、昼食後は自由時間の三部構成プログラムだった。

講義の内容については、6月21日発売予定のSaltWater8月号に掲載される予定なので、詳細はそちらに譲るが、テンションホールを多用する理由藻面を釣る際のシャクリ方あたりの待ち方等雑誌やDVDから知識として得てはいたが、生での解説は非常に説得力があり、その外、春のエギングでは大潮前の中潮が狙い目であることや漁港の奥でも海藻があればポイントになり得ること等目からウロコが落ちる様な思いで聴いた。

実釣では、あの様な強風の中、ベスト・タイム・ゾーンを外した真昼間しかも潮回りは小潮と云うタフなコンディションの中、講師のどちらかが1杯でも出しておられれば、説得力は更に増したと思うが、生憎、講師を含めた20名全員が枕を並べて討ち死にと相成った次第。
お守りR.JPG まぁ、今回は講習で知識を得ることが目的なので・・・・・・。
とは云え、講義に先立ち渡邉氏から参加者全員にプレゼントされたオリジナル大漁祈願のお守りのご利益もなく、誠に残念な結果に終わってしまった。

その様な状況であったが、強風に手を焼き、男性軍が早々に諦めて駄弁っている間も、黙々とキャスティングを繰返し、疑問点を講師に質していた町田から参加したと云う女性アングラーの姿勢は、印象的だった。 恐らく、その熱心さがプログラム最後のエギ争奪ジャンケン大会の優勝に繋がったのではないだろうか。

講義の終了は、予定の14:00より早めの13:30頃。
小生の場合は、遅くても10:00頃には釣り上がっているのが常で、日の出から昼過ぎのこんな時刻まで8時間以上も釣り場にいることはないので、流石に疲労困憊。 折角房総に来たのだから、帰りは内房の何処かでシャクル積りで、ポイント案内を車に積んでいたのだが、その気力も全く残っておらず真っ直ぐに帰って来てしまった。

所で、このブログはエギング教室の翌日に書いているのだが、昨夜は22:00に就寝し今朝8:00に目が覚めるまで、若い時ならいざ知らず、10時間もぐっすりと眠ってしまった。 それだけ寝たのだから疲れはすっかり取れたのかと云うと、残念ながら腰の辺りに澱が溜まっている様に重たい。 更に情けないことには、乙浜港から帰る途中、運転をしながら色々と反芻していた筈なのに、一晩寝てしまうと、殆ど講義で聴いた内容が頭の中に残っていない。 

何てことだ!!!
歳は取りたくな~い!!!

2010年4月10日

退職お祝い会


思いもよらないことに、Fly Fishing仲間が小生のリタイアお祝い会を開いてくれた。

小生は、この4~5年、専らエギングにハマってしまって、FFから遠ざかっている。 そんな事情なので、勢い、FF仲間とも会う機会が減っていたのだが、ある日突然、リタイアお祝い会をするから、との連絡を頂いた。
これには、正直、ビックリした。

と云うのも、40年の現役生活は、今、振り返ってみると長い期間であることは間違いはない。
しかし、小生自身は、日々の積み重ねの結果、終わってみれば40年経っていただけのこととしか思っていない。 だから、最後に職場を離れるその瞬間も、感慨に耽ることもなく、寧ろ、これで仕事のことを考える必要はなくなったと、肩の荷がス~ッと降りると同時に開放感が胸一杯に広がって来るのを感じていた。
従って、家族が労を労ってくれることは考えられても、同好の士達がそのために集まってくれるとは思いもしていなかったからである。

小生は完全な下戸で、ビールのワン・フィンガーでも酔っ払ってしまう程なので、酒の席は苦手にしているのだが、このお誘いは有り難く受けさせて貰った。

DSC00387R.JPG で、連絡を頂いた場所に出掛けて、メンバーの4人との楽しい語らいのひと時。 

この中で、小生はダントツの年長なのだが、そんな年齢差を感じることもなく、気が付いてみれば制限時間を40分もオーバーしていた。

DSC00385R.JPGそしてオヒラキになる直前のこと。
突然、天井の灯りが消えて店内が真っ暗。 こんな時に停電かと訝しく思っていると、3本のローソクが灯ったチーズ・ケーキと花束が登場。

思いもかけなかったお祝い会に加えてこのサプライズで、情けないことに唯々ビックリするだけで声も出せなかった。
こんな仲間を持つことが出来て、幸せを痛感した一瞬だった。

皆さん、有難う。 本当に、有難う。

2010年3月26日

ポイントの下見


2月の中旬頃に15℃を超えて来ていた江之浦沖の海水温が、黒潮の離岸と共にドンドンと下がってしまい、遂に13℃を切る所まで来てしまった。 これではアオリイカの接岸は未だ先だろう。
であれば、今後のために、三浦方面のポイントの下見をして来た。

最近になってメールの交換をさせて頂く様になったオーシャンさんや雑誌等の情報を元に候補地を2ヶ所に絞り込んで、9:30に出発。
それにしても、最近のナビは凄い。 我々アングラーが行くような所は、どう考えてもローカルとしか思えない場所なのだが、ちゃんと検索出来てしまう。

下見が目的なので時間の制約もない。 当然、有料道路を使わずに一般道を走ったが、50km程の行程でやはり2時間コース。 世間様が寝静まった夜中の走行であれば30分程度は短縮出来るだろう。

ナビの指示に従って、県道から車一台分幅しかない細い農道に入り、畑や雑木林を抜けて海岸近くの駐車スペースに到着。
退職後は、あちらこちら釣りに行くことを前提にPassatから軽四のエブリィ・ワゴンに替えたのだが、こう云う細い農道を走らなければならない時は、替えておいて良かったと思う。 まだPassatに乗っていたら、おそらくこんなに細い道には入り込むことはなかっただろう
休日でもないので誰も居ないと思っていたが、5~6台も車が止まっている。
車がなければないで、本当に目的の場所かどうか不安になるし、こんなに止まっていると、人気場所で場荒れしているのではないか・・・。
まぁ、勝手なものだ!!!


始めて入る磯で状況が分からず、場合によってはタイド・プールを横切る必要もあるかも知れないと考え、ヒップ・ブーツを履いていると、頭上をラジコン飛行機が飛び回っているのに気が付いた。 しかも、1機だけではなく2機も3機も飛んでいる。
飛ばしている人達は、同好会か何かなのだろう。 皆さん、小生と同じか少し上の年代の方ばかり
老後の楽しみで飛ばしに来ている様で、駐車している車が多かった理由はこれ。

さて、肝心の磯は・・・・。
途中、一か所だけ潮が高い時は海水に被ってしまいそうな所があるが、目的地の磯までは踏み跡もしっかりとついており、非常に楽に入れるし、夜でも危険は少なさそう。 
見た所、水深は余りなさそうなものゝ、海草も結構繁茂しており如何にも良さそうな雰囲気。
只、磯から20~30m沖にイケスの様な物がありその固定ロープがあるので、キャスト方向が限られる所がある。 と云っても、磯自体は、その場所を避けても充分掛かれる程かなり広い。 最も気になるのは、全体として高さがない上に前下がりなので、多少でも波気があると這い上がって来そうな点。

うみねこ.jpg次に下見をした磯は、この付近では超有名な磯の手前の浅場の磯。
雑誌に書かれていた駐車スペースは満車だったが、今回は下見なので長時間にはならないと、道路が少し広くなった所に路駐させて貰って漁港を横切って磯に出る道を進む。

こちらも踏み跡がしっかりと付いているので迷うことはないが、この磯もやはり高さがなく、多少でも波がある時は避けた方が良さそう。 しかも、スリットが至る所に入っていて迷路状態で、これじゃ、余程慣れていないと、暗くて見通しが悪い夜に入っても、目的のポイントに辿り着くのが大変・・。

まぁ、一度や二度見ただけでは何も判るものではないがが、これで夜一人で入る場合でも、ある程度の見当はつけられた。

2010年2月26日

春一番の名残


昨日の春一番の名残なのか、今朝は朝早くから南風が強く吹いている。

毎日が日曜日になったのでいつでも好きな時に釣りに出掛けられると思っていた。
しかし、なかなかどうして、結構忙しい毎日で、寒さに負けたことも理由の一つだが、気が付くと釣行しないまゝ一週間が終わってしまうことが多かった。

これではイカンと、釣行曜日を考えて見た。
土・日曜日は釣り場も混雑することは分かっているので、これまで同様パス。
月曜日は財団に勤務していた頃の釣行曜日だが、結構人出が多いので、出来ればパスしたい。
水・木曜日の何れかは母親の見舞い行く曜日に当っているので、結局、釣行曜日の候補は、火・金曜日しかないことになる。
と云う訳で当分の間、火曜日金曜日に釣行すると決めた。

その初日に当る先週の金曜日は、同じ様に東伊豆に出掛けて尺メバルを2匹も取ったアングラーが居ると云うのに、風も波もない絶好の釣り日和を活かせずボーズに終わり、そして今日は・・・。

1:30、携帯の目覚まし音に起きて見ると、ビュービューと風の音が聞こえる。
この道楽部屋は南に開けた高台にあるので、特に南風の場合、当たりが強く感じるのだが、これでは釣りにならないと決め込んで、そのまま寝てしまった。

アァ~!! どうも今一つテンションが上がらないナ~!!

2009年12月14日

釣り人の死亡事故

昨日からニュースで茨城県鹿島港で3名の釣り人が行方不明になっていると報道されている。
釣り人が波にさらわれたり、乗っている釣り船が転覆したりする事故はそんなに珍しいものではなく、亡くなった3名の釣り人には申し訳ないが、今回もあぁ、またかとそんな感じでこのニュースを聞いていた。 所が、ふと気が付くと、この3名は立入禁止区域に入り込んで事故にあったらしいと繰り返しており、やけに立入禁止を強調している様に思えて仕方がなくなって来た。

時を同じくして、13日付けの朝日新聞朝刊に規制強まる"好釣り場"の見出しで、横浜の立ち入り禁止となっている防波堤では、県警が事故防止のため積極検挙する方針になったとの結構大きな扱いの記事が載っていた。 実際には、警告の看板に気付きながら入り込んだ場合など悪意があると判断された場合は、軽犯罪法違反容疑で検挙され、写真撮影や指紋を取られたり2時間以上もの長時間にわたり取調べられたりすることもあるとのこと。

確かに立ち入り禁止の看板を無視することは良いことではないと云うよりも、無視すべきものではない。
しかしながら、そうすると釣り場が極端に少なくなるのも事実だし、特に首都圏では、現在でも、獲物の数よりも釣り人の数の方が圧倒的に多い状態で、取締りを厳格に実施されると岸壁からの釣りは事実上出来なくなってしまう。 それでなくても、何とか条約の影響で、首都圏の岸壁は立入禁止の看板どころか高い金網で仕切られてしまって、海が直ぐ傍にあるにも関わらず釣りが出来ない状態になっている。 その規制から免れ、長年釣りで立ち入ることを黙認されて来たポイントからも、こうして締め出されるとしたら、釣り人はどこに行けば良いのだろうか?

当局のこの様な方針転換の理由の一つに、事故の際の責任を遺族から訴えられるケースが出て来ていることもある様だが、これは自己の責任を他人に転嫁しようとする遺族の意識が問題なのであって、それに事なかれ主義の当局の考え方が相俟って生まれた解決策でしかないように思えて仕方がない。
つまり、釣りに限らず自然を相手とする遊びなりスポーツは、常に危険との隣合わせであることを前提として、自己責任の範囲内で楽しむべきものである。 その意味で先の遺族の方々は、釣行する家族にライフ・ジャケットやスパイク・シューズ等の着用を促し、強要していたのであろうか? 加えて、ライフ・ジャケットやスパイク・シューズ等を着用していたからと云って、それで100%ではないことも認識しておくべきfだろう。 最近では、自分の子供が学校の校庭で転んで怪我をしても、学校側の管理責任を問う保護者がいると聞くが、敢えて云わせて貰えれば、それと同じ様に、全くもって非常識な考え方だと云わざるを得ない。

危険だからと云って、登山が禁止になることはない。 それは登山家が充分な準備や装備で臨むからであって、そうでない者が遭難したら、無謀と云われるだけのことである。 それと同じ様に、釣りも危険だからと云って禁止されない様に釣り人側できちんとした対応をする必要があると思う。

2008年2月26日

ドジ:二周年


あれから丸2年になる。
考えて見れば、あの頃は防寒着を着込んで達磨の様なコロコロとした恰好でアオリを求めてあちらこちらの漁港を彷徨っていた。

そんな中でポッキとやってしまったのだが、これまでの長い釣り歴の中で、寒いことを理由に釣りに行かなかったことはなかった。所が、今年はどうだろう! 一挙に歳を喰ってしまったのか、1月7日の初釣り以来パタリと行かなくなってしまった。

寒いのに行っても釣れないんじゃ・・・・って言い訳ばかりしているが、暦じゃもう直ぐ3月。

ソロソロ啓蟄を迎え虫達も活動開始。

で、海況図を眺めて見ると、沿岸地域は未だ14℃程度。これじゃ、釣り再開はもう少し先か????

 

で、骨折した足の状況は・・・・・・。

これが中々調子が戻って来ない。特に長時間座った状態で足を使わないでいて、立ち上がったりするとピリッとした痛みが踵から踝にかけて走る。決して我慢出来ない痛さじゃないけれど、フッと力が抜けてヨロッとする。踝の腫れは未だに治まる気配はないし、足を組んで踵を浮かした状態で足首を廻すとコキコキと音がする。踵の硬い革靴を履いて10分も歩くと鈍い痛みが出て来る。

2も経っているのに未だこんな状態じゃ、結局、この先仲良く付き合って行くしかないのだろう。

2007年2月27日

ドジ:一周年

昨年の2月28日、東伊豆のHKWに単独釣行した際に防波堤から1m程の高さを跳び降り、着地に失敗して左足の踵を骨折してしまった。
早いもので、あれから丁度1年経った。

で、その後の状況はと云うと・・・。
正直に云うと、どうも、調子が悪い調子はもう一つ
日常生活には全くと云って良い程支障はないので、人には云ってはいないが、痛むことがある。

長時間足首を動かさずにいて歩こうとする時などは、ほゞ確実に痛む。 車の運転を終えた時、朝の起き抜け時等。 こんな時は痛むことが分かっているので、最初に踏み出す左足には無意識の内に出来るだけ体重を掛けない様にしている。

この時の痛みも、足を踏み出した時に踵の土に当る部分である時もあれば、足首の関節の外側である時、足裏全体に感じる時もある。勿論、何も痛みのない時もある。しかも、ズンとした鈍痛である場合、ピリッと鋭く痛む場合等痛みの種類も一定していない。更には、革靴を履いている時とスニーカーの時とでもその強さや有無が違う。
要するに痛みを伴う状況が一定していない。
これは始末が悪い。状況が一定していないから対策の取り様がない。寧ろ、四六時中注意していなければならない。

医者は痛みや浮腫みは半年程残ると云っていたので、昨年の夏頃にはそれらも無くなって元に戻る筈だった。所が、夏を過ぎ秋になり、冬になっても痛みも浮腫みも取れていない。

禁煙をして増えた体重と跳び降りた際の衝撃を受けて、あの太い踵の骨が折れた位だから、足首の関節にもきっと何らかの障害が発生した筈だ、と考えても不自然ではないのではないだろうか? つまり、単純な骨折ではなかった疑いが残る。
しかしながら、小生の担当医師は、レントゲンの写真を見るだけの診察で患部には全く手を触れなかったので、発見出来なかったのではないだろうか? どうもそう思えて仕方がない。

まぁ、どちらにしても、60歳を過ぎている老骨の身であるから、完全に復旧する事は無理なんだろう。

この様な状態であるので、釣り場でテトラに乗るのに一苦労する。チョットしたギャップや高さであれば跳び移ったり、跳び降りれば良いのだが、それが怖い。つまり、小生の効き足は右なので、この様な動作の踏み切りは全て右足の役割となり、とすると着地は、当然左足が受け持つことになる。だからこそ、骨折した際の衝撃も右足よりも左足の方に大きかったのだろう。
考えて見れば、下り階段でも知らず知らず衝撃にならない様に踏み出す左足には気を使っている。階段でもこの調子なのだから、ジャンプの着地では尚のこと怖い。かと云って、踵への衝撃をなくそうとして爪先から足首で受けるのも躊躇してしまう。それ位、小生の左足には信頼性がない。
暫くは、ソロリソロリとした移動しか出来ないのだろう。

骨折の経験者の中には、骨折箇所の痛みの具合で天気予報が出来る人もいるらしい。所が、小生の骨折はこの様な状態だから、それすらも出来ない。

アァ、一寸した不注意で大きな代償を払うことになってしまった。

2006年4月26日

ドジーその後(最終回?)

2週間ぶりの通院日。

予約時刻はこれまでと同じ11:00だが、今日は10時少し前に家を出た。
患部のレントゲン写真を受け取り、整形外科の受付を済ませたのが10:30頃。
待合室の椅子に腰を掛け持参の単行本を読み始めて程なく、名前が呼ばれた。
時計を見ると・・・・。
何と、丁度11:00。予約時刻通りでかえってビックリしてしまった。

医者:順調だね。折れた痕の影が殆ど見えなくなっているネ。松葉杖も装具も着けなくても大丈夫でしょう!!!

待ちに待ったこの言葉。フライングをしていたけれど、こうしてお墨付きを貰うのはやっぱり嬉しいものだ。
自然と頬が緩んで来る。

医者:でも、痛みは半年程残るからその積りで・・・。

痛みが残るのは余り気持ちの良いものではないが、「回復している証なら、何てことはない」。

もう、すっかり花を散らしてしまった桜の若葉の緑が、ことの外目に染みたネ?。

2006年4月19日

ドジーその後7

「這えば立て、立てば歩けの親心」

家の中では、引き摺りながらではあるが二本の足で歩くことが出来る様にはなって来ている。
そうは云っても、いざと云う時に身体を支えるもののない戸外で、しかも距離も長くなる場合を考えると、未だ自信がなく松葉杖を常に使っていた。使いながらも、出来るだけ杖に体重を預けずに、軽く地面を突くだけにしていた。丁度、スキーでターンをする時にストックをチョンと突く感じに近い。こうすれば、少しでも傷めた左足を使うことになるし、リハビリにもなるだろう。

この様な歩き方をしている内に、次第に、杖がなくても歩けそうな気になって来た。
そこで、思い切って試そうと思い、医者の了解もなくて不安ではあったが、装具を着けず、杖もなしで、普通の足で3分程の所にある生協にまで買い物に行くことを考えた。

左足の腫れは未だ引いていないので、普通の靴は履くには少々無理がある。骨折した時に履いていたロー・カットのトレッキング・シューズの紐を思いっきりゆるくすることにした。このシューズは踵の部分に弾力性があって、その意味でも都合が良い。

一段。二段。
先ず、最初の関門の階段である。足首を曲げるのには不安があったが、何とか、クリアー。
そして、一歩。二歩。歩き方は不恰好ではあるが、平坦な所を歩くのだから問題はない筈。

ウン。何ともないじゃないか。行けそうだゾ。

変な話だが、自分の足だけで歩けることに感激してしまった。

途中で、踵付近に幽かな鈍痛を感じたが、無事帰宅。

翌日、職場にも装具ナシで出勤。
歩けなくなると皆に迷惑を掛けることになるので、用心のため杖は持って出たが、極力使わない様に勤めた。
帰宅後、やはり少し鈍痛はあったが、やっと目途が着いて来た様な気がする。

アオリ再デビューも近いゾ?。

2006年4月12日

ドジーその後6

二週間振りの病院である。
実は、この煩わしい装具からも開放されることもあり得るのではないかと密かに期待し、左足の靴もバッグの中に潜ませて出掛けたのではあるが・・・。

足の状況はかなり良くなって来ている。腫れは相変わらず残ってはいるものの、足首を捻る動きをしない限り、幽かな鈍痛が残っているだけで、2?3日前から伝い歩きをしなくても良くなって来ている。

骨折したばかりの頃は、足を床に着けることさえ怖くて出来ずに、情けないことではあるが犬の様に床を這い回っていた。人間としての尊厳の欠片もない状態であった。幾分回復して来て、やっと伝い歩きが出来る様になり、そして、足を引き摺りながらではあるが、二本の足で歩ける様になった。一昨日は、一ヶ月も訪れること出来なかった別棟4階にある「道楽の部屋」にも行き来してきた。
まるで、赤子の成長過程を見ている様ではあるが、確実に回復して来ている。 

そんな状況にあったので、装具から解放されるかも知れないと期待したとしても、自分で云うのも可笑しなことであるが、まぁ、無理はなかろう。

さて、病院での状況は・・・・。

先々週は、レントゲンの撮影から診察までの待ち時間が長かったので、待ち時間調整のために、今日は30分程自宅を出るのを遅らせた。所が、撮影は順調過ぎる位スムーズに終わってしまい、予約時刻の50分前には整形外科の受付に到着してしまった。
病院通いを何度かする内に、要領はもう会得済みである。待合室の椅子に腰をかけ持参していた単行本を読み、時々ウツラウツラとしながら待っていたが、結局予約時刻より30分遅れの診察となった。

で、診察室では・・・・。

医者曰く、順調に回復して来ているネ。じゃ再来週の水曜日にまた来て下さい。
おいおい、云うことはそれだけかい????

装具は未だ外せないでしょうか?
家ではもう装具を着けていないんですが(実は、家の中で着けていることは一度もないのだが)

ウ?ン。骨はかなり回復して来ているが、まだ完全じゃないし・・・。
再来週まで着けておいて下さい。


残念だが、確かに、レントゲンの写真を見ると、折れた部分の陰が未だ3分の1程残っている。

と云う訳で、期待に反して装具からの解放は果たされなかった。
しかし、今月末には、九分九厘、装具は外せるだろう。
であれば、フフッフ・・・、ゴールデン・ウィークの始めには再デビュー。
そろそろ準備を開始しなければ・・・。