2008年2月26日

ドジ:二周年


あれから丸2年になる。
考えて見れば、あの頃は防寒着を着込んで達磨の様なコロコロとした恰好でアオリを求めてあちらこちらの漁港を彷徨っていた。

そんな中でポッキとやってしまったのだが、これまでの長い釣り歴の中で、寒いことを理由に釣りに行かなかったことはなかった。所が、今年はどうだろう! 一挙に歳を喰ってしまったのか、1月7日の初釣り以来パタリと行かなくなってしまった。

寒いのに行っても釣れないんじゃ・・・・って言い訳ばかりしているが、暦じゃもう直ぐ3月。

ソロソロ啓蟄を迎え虫達も活動開始。

で、海況図を眺めて見ると、沿岸地域は未だ14℃程度。これじゃ、釣り再開はもう少し先か????

 

で、骨折した足の状況は・・・・・・。

これが中々調子が戻って来ない。特に長時間座った状態で足を使わないでいて、立ち上がったりするとピリッとした痛みが踵から踝にかけて走る。決して我慢出来ない痛さじゃないけれど、フッと力が抜けてヨロッとする。踝の腫れは未だに治まる気配はないし、足を組んで踵を浮かした状態で足首を廻すとコキコキと音がする。踵の硬い革靴を履いて10分も歩くと鈍い痛みが出て来る。

2も経っているのに未だこんな状態じゃ、結局、この先仲良く付き合って行くしかないのだろう。

2007年2月27日

ドジ:一周年

昨年の2月28日、東伊豆のHKWに単独釣行した際に防波堤から1m程の高さを跳び降り、着地に失敗して左足の踵を骨折してしまった。
早いもので、あれから丁度1年経った。

で、その後の状況はと云うと・・・。
正直に云うと、どうも、調子が悪い調子はもう一つ
日常生活には全くと云って良い程支障はないので、人には云ってはいないが、痛むことがある。

長時間足首を動かさずにいて歩こうとする時などは、ほゞ確実に痛む。 車の運転を終えた時、朝の起き抜け時等。 こんな時は痛むことが分かっているので、最初に踏み出す左足には無意識の内に出来るだけ体重を掛けない様にしている。

この時の痛みも、足を踏み出した時に踵の土に当る部分である時もあれば、足首の関節の外側である時、足裏全体に感じる時もある。勿論、何も痛みのない時もある。しかも、ズンとした鈍痛である場合、ピリッと鋭く痛む場合等痛みの種類も一定していない。更には、革靴を履いている時とスニーカーの時とでもその強さや有無が違う。
要するに痛みを伴う状況が一定していない。
これは始末が悪い。状況が一定していないから対策の取り様がない。寧ろ、四六時中注意していなければならない。

医者は痛みや浮腫みは半年程残ると云っていたので、昨年の夏頃にはそれらも無くなって元に戻る筈だった。所が、夏を過ぎ秋になり、冬になっても痛みも浮腫みも取れていない。

禁煙をして増えた体重と跳び降りた際の衝撃を受けて、あの太い踵の骨が折れた位だから、足首の関節にもきっと何らかの障害が発生した筈だ、と考えても不自然ではないのではないだろうか? つまり、単純な骨折ではなかった疑いが残る。
しかしながら、小生の担当医師は、レントゲンの写真を見るだけの診察で患部には全く手を触れなかったので、発見出来なかったのではないだろうか? どうもそう思えて仕方がない。

まぁ、どちらにしても、60歳を過ぎている老骨の身であるから、完全に復旧する事は無理なんだろう。

この様な状態であるので、釣り場でテトラに乗るのに一苦労する。チョットしたギャップや高さであれば跳び移ったり、跳び降りれば良いのだが、それが怖い。つまり、小生の効き足は右なので、この様な動作の踏み切りは全て右足の役割となり、とすると着地は、当然左足が受け持つことになる。だからこそ、骨折した際の衝撃も右足よりも左足の方に大きかったのだろう。
考えて見れば、下り階段でも知らず知らず衝撃にならない様に踏み出す左足には気を使っている。階段でもこの調子なのだから、ジャンプの着地では尚のこと怖い。かと云って、踵への衝撃をなくそうとして爪先から足首で受けるのも躊躇してしまう。それ位、小生の左足には信頼性がない。
暫くは、ソロリソロリとした移動しか出来ないのだろう。

骨折の経験者の中には、骨折箇所の痛みの具合で天気予報が出来る人もいるらしい。所が、小生の骨折はこの様な状態だから、それすらも出来ない。

アァ、一寸した不注意で大きな代償を払うことになってしまった。

2006年4月26日

ドジーその後(最終回?)

2週間ぶりの通院日。

予約時刻はこれまでと同じ11:00だが、今日は10時少し前に家を出た。
患部のレントゲン写真を受け取り、整形外科の受付を済ませたのが10:30頃。
待合室の椅子に腰を掛け持参の単行本を読み始めて程なく、名前が呼ばれた。
時計を見ると・・・・。
何と、丁度11:00。予約時刻通りでかえってビックリしてしまった。

医者:順調だね。折れた痕の影が殆ど見えなくなっているネ。松葉杖も装具も着けなくても大丈夫でしょう!!!

待ちに待ったこの言葉。フライングをしていたけれど、こうしてお墨付きを貰うのはやっぱり嬉しいものだ。
自然と頬が緩んで来る。

医者:でも、痛みは半年程残るからその積りで・・・。

痛みが残るのは余り気持ちの良いものではないが、「回復している証なら、何てことはない」。

もう、すっかり花を散らしてしまった桜の若葉の緑が、ことの外目に染みたネ?。

2006年4月19日

ドジーその後7

「這えば立て、立てば歩けの親心」

家の中では、引き摺りながらではあるが二本の足で歩くことが出来る様にはなって来ている。
そうは云っても、いざと云う時に身体を支えるもののない戸外で、しかも距離も長くなる場合を考えると、未だ自信がなく松葉杖を常に使っていた。使いながらも、出来るだけ杖に体重を預けずに、軽く地面を突くだけにしていた。丁度、スキーでターンをする時にストックをチョンと突く感じに近い。こうすれば、少しでも傷めた左足を使うことになるし、リハビリにもなるだろう。

この様な歩き方をしている内に、次第に、杖がなくても歩けそうな気になって来た。
そこで、思い切って試そうと思い、医者の了解もなくて不安ではあったが、装具を着けず、杖もなしで、普通の足で3分程の所にある生協にまで買い物に行くことを考えた。

左足の腫れは未だ引いていないので、普通の靴は履くには少々無理がある。骨折した時に履いていたロー・カットのトレッキング・シューズの紐を思いっきりゆるくすることにした。このシューズは踵の部分に弾力性があって、その意味でも都合が良い。

一段。二段。
先ず、最初の関門の階段である。足首を曲げるのには不安があったが、何とか、クリアー。
そして、一歩。二歩。歩き方は不恰好ではあるが、平坦な所を歩くのだから問題はない筈。

ウン。何ともないじゃないか。行けそうだゾ。

変な話だが、自分の足だけで歩けることに感激してしまった。

途中で、踵付近に幽かな鈍痛を感じたが、無事帰宅。

翌日、職場にも装具ナシで出勤。
歩けなくなると皆に迷惑を掛けることになるので、用心のため杖は持って出たが、極力使わない様に勤めた。
帰宅後、やはり少し鈍痛はあったが、やっと目途が着いて来た様な気がする。

アオリ再デビューも近いゾ?。

2006年4月12日

ドジーその後6

二週間振りの病院である。
実は、この煩わしい装具からも開放されることもあり得るのではないかと密かに期待し、左足の靴もバッグの中に潜ませて出掛けたのではあるが・・・。

足の状況はかなり良くなって来ている。腫れは相変わらず残ってはいるものの、足首を捻る動きをしない限り、幽かな鈍痛が残っているだけで、2?3日前から伝い歩きをしなくても良くなって来ている。

骨折したばかりの頃は、足を床に着けることさえ怖くて出来ずに、情けないことではあるが犬の様に床を這い回っていた。人間としての尊厳の欠片もない状態であった。幾分回復して来て、やっと伝い歩きが出来る様になり、そして、足を引き摺りながらではあるが、二本の足で歩ける様になった。一昨日は、一ヶ月も訪れること出来なかった別棟4階にある「道楽の部屋」にも行き来してきた。
まるで、赤子の成長過程を見ている様ではあるが、確実に回復して来ている。 

そんな状況にあったので、装具から解放されるかも知れないと期待したとしても、自分で云うのも可笑しなことであるが、まぁ、無理はなかろう。

さて、病院での状況は・・・・。

先々週は、レントゲンの撮影から診察までの待ち時間が長かったので、待ち時間調整のために、今日は30分程自宅を出るのを遅らせた。所が、撮影は順調過ぎる位スムーズに終わってしまい、予約時刻の50分前には整形外科の受付に到着してしまった。
病院通いを何度かする内に、要領はもう会得済みである。待合室の椅子に腰をかけ持参していた単行本を読み、時々ウツラウツラとしながら待っていたが、結局予約時刻より30分遅れの診察となった。

で、診察室では・・・・。

医者曰く、順調に回復して来ているネ。じゃ再来週の水曜日にまた来て下さい。
おいおい、云うことはそれだけかい????

装具は未だ外せないでしょうか?
家ではもう装具を着けていないんですが(実は、家の中で着けていることは一度もないのだが)

ウ?ン。骨はかなり回復して来ているが、まだ完全じゃないし・・・。
再来週まで着けておいて下さい。


残念だが、確かに、レントゲンの写真を見ると、折れた部分の陰が未だ3分の1程残っている。

と云う訳で、期待に反して装具からの解放は果たされなかった。
しかし、今月末には、九分九厘、装具は外せるだろう。
であれば、フフッフ・・・、ゴールデン・ウィークの始めには再デビュー。
そろそろ準備を開始しなければ・・・。

2006年4月 8日

ドジーその後5

4月に入って早くも1週間が過ぎた。
桜の季節も終わり、いよいよアオリのシーズン・インも目前に迫って来ていると云うのに、まだまだ釣行出来る状態には程遠い。
医者の云う「全治3ヶ月」を前提にすると、漸く折り返し地点と云ったところだろう。

さて、3月の29日に義足の様な装具を着けて10日余り。

この装具がない時は、左足が完全に使えない状態だけに、左足に荷重が掛かる時は、禁煙の効果でかなり増えた体重を両腕の松葉杖で支えなければならず、想像以上に腕が疲れた。所が、この装具を着け左足を地面に着けられる様になって、随分と楽になった。地面に着けると云っても、当然体重を100%掛けられる訳ではない。感覚的には殆ど地面に足が触れているだけなのだが、雲泥の差がある。階段の上り下りも手摺で体重を支える必要がなくなったので、そろそろ4階の道楽の部屋にも通えるのではないかと思う。

最近は、職場内での移動など距離がない場合は、松葉杖一本で動き回れる程になって来たし、家の中では杖を持たずに「伝い歩き」が出来る様にまでになって来た。距離があるとやはり若干不安な気持ちがあるので、松葉杖を両腕に挟んでいるが、着実に回復はして来ている証だと思う。
只、足の浮腫みと云うか腫れは、まだ完全には取れていない。特に、踝の凸の周囲の腫れは残ったまま。

所で、松葉杖一本の場合、その杖は左腕で持つか右腕で持つか?
左足が悪いから左腕に杖を持って・・・と思う人が多いだろう。実際は、逆の右腕に持つ方が歩き易いのである。
実は、家の中で「伝い歩き」をしている時に解かったことであるが、例えばテーブルの端を右腕で持って歩く方が楽に体重を支えることが出来、左足に掛る負担が軽減されるのである。

自宅の中がバリヤーばかりで、障害者にとって全く優しい造りではないことの他に、悪い足の逆側の腕に杖を持つ方が楽であることの2点が、骨折をしなければ解からなかったことであると思う。

さて、来週の水曜日(12日)が診察予定日であるが、どの様な結果になるだろうか?
期待半分、不安半分・・・・と云った所。

2006年3月29日

ドジーその後4

2月末にドジってから丁度1ヶ月。
この間、松葉杖がなければ移動することが出来なかったが、今日は装具が出来上がって、松葉杖から開放される・・・筈だった。

実は、ギブスからは開放されたけれど、松葉杖から卒業と云う訳には行かなかった。

出来上がった装具は、踵に荷重を掛けない様にするため、踵部分を切り欠いた義足の様な物で、装着すると、足の甲とつま先そしてふくらはぎの3箇所をベルトで固定するので、足首は曲げられない。
足が自由にならないだけ、何かしら安心感はある。

医者曰く、これからは装具をつけて多少痛くても、積極的に足を使う様に、とのこと。 でなければ、後1週間程で歩けなくなる位、筋肉が落ちる。 又、松葉杖は使わなくても歩けるのであれば、止めても良い・・・。

病院のリハビリテーション室ではしないけれど、これも立派なリハビリなんだろう。
しかも、装具が取れるまで4週間程掛かるって。
と云うことは、この不自由な生活が4月一杯続くってことで、当然エギングへの復帰は5月からになりそう(涙)

帰宅後、装具をつけて部屋の中を歩こうとすると、ドジった左足のくるぶし部分にピリピリした痛みが走る。 我慢出来ない痛みではないが、体重を掛けるのが何故か少々怖い。 
試しに装具を外して歩いて見ると・・・・、何と、踵に鈍痛を感じるが、ピリピリする痛みはなくて、ずっと歩き易い。

さて、どうしよう????

と云ったって、どちらにしても恐る恐るのソロソロとしか歩く・・・んじゃなくて、移動しているだけなんだけど。

2006年3月22日

ドジーその後3

今日、病院に行って来た。 予約時刻は先週と同じ。

今日も、先週程ではないが、同じ様に待たされ、診察は予約時刻に遅れること、丁度1時間。
しかし、このブログを呼んで頂いているtokeiさんの助言に従って文庫本を持参していたし、又、待たされることを覚悟していたので、先週の様にカリカリすることはなかった。 
それにしても、予約が入っているのに、1時間も待たなければならないなんて、世間の常識外のことだろうと思う。 患者一人一人の病状によって診察時間も異なるだろうし、時間が読めないのも良く解る。 ・・・が、何とかならないものだろうか?

診察の結果は・・・・・・・。
レントゲンには未だ影があるので完全ではないが、骨折箇所の回復状況は順調。
でもこの位の事は、腫や痛み、内出血の具合から自分でも判断出来るし、1時間も待った上に改めて聞かされても・・・・ネ?。

それよりも、今日は装具が出来る予定で、上手く行けば松葉杖から開放されると期待していたが、見事に裏切られた。 と云うよりも期待し過ぎていた。 
やはり、一発でOKとならず、手直しが必要とのことで、完成は来週の水曜日29日になってしまった。

2006年3月15日

ドジーその後2

今日、病院に行って来たが・・・。
朝9時40分頃に家を出て、帰って来たのが午後2時半。あぁ疲れた(泣)

先ず、受付を済ませて直ぐにレントゲンの撮影。ここで20分程待たされ、撮影済みのフィルムを受け取るのに同じく20分位。

フィルムを持って整形外科へ。予約時刻の11時には30分程早いが予約表を出して順番を待つことにした・・・。
所が、予約時刻になっても名前が呼ばれない。病院のことだし多少待つことは仕方がないと思ってはいたが、待てど暮らせどお呼びが掛からない。予約時刻を40分も過ぎたので看護婦に事情を尋ねると、急患が入ったので遅れていると云う。
それから30分も経ったが一向に気配がない。再度、尋ねると兎に角待って欲しいの一点張り。「そんなことでは、予約の意味がないじゃないか」と苦情を云っては見たものの、順番が来なければ致し方がない。
更に30分経った頃、やっと呼ばれた。結局1時間40分待たされたことになる。

担当医は、レントゲン写真を見て、「ウン、ズレずに付いて来ている。後は身体の治癒力次第」とのお見立てで、2分でお仕舞。

その後、装具を作るため脚の型を取るから待つ様にと云われて1時間。
全く、「どうなっているんだ」と看護婦に云うと、程なくお呼びが掛かる。どうも忘れていたのではないかと思える。
石膏を含んだ包帯を足にグルグルと巻いて、固まるのを待つこと20分。

と云うことで、一日中病院の中で順番待ちをしていた(様な気がする)。

装具の出来上がりは22日。上手く出来ていればそのまま使えるが、でなければ更に翌週の29日になる予定。松葉杖の世話にならなくても済むので何とか22日で完成として貰いたいものだ。

2006年3月 6日

ドジ?その後1

ドジった当日は、夜も結構な痛みが残っていたが、薬が効いたのか、翌朝には殆ど痛みも無くなっていた。
只、体重を掛けるとズッキ?ンと激痛が走るので、両の足で歩くことは当然出来ず、松葉杖の世話になっている。
この世に生を受けて以来60年間に大きな怪我をしたことは一度もなかったので、松葉杖を使うのは初めてだが、実は大きな思い違いをしていることが解った。

体重を杖に預けるのだから力も要らず楽だろうと、漠然と思っていたが、これがなかなかどうして、思っていた以上に体力が必要なのだ。と云うよりも両足で歩くよりも遥かに体力が要る。100m位を歩くだけで息が上がってしまう位だ。つまり、体重を杖に預けるのは間違っていないのだが、その体重は杖を持っている両手で、突っ張るようにして支えるしかない。結局60kg余りの己の重さを2本の腕で支えて歩くのと同じで、腕立て伏せの運動を休みなくしている様なものかも知れない。
お陰様で無事だった右足や両腕、両掌が筋肉痛になっている(泣)

さて、怪我の状況は・・・・。
1日の夜、注意はしていたが、風呂に入った時にギブスを濡らしてしまった。仕方がないので怖々ギブスを外してみると・・・・。
足首から爪先に掛けて浮腫んだ様に腫れており、しかも土踏まずから踝の下まで紫色に内出血している。記念の意味で写真は撮ったものの、グロテスクなのでここにはアップしないが、その酷さを見るとやっぱり「全治3ヶ月」は本当だろうと思える。

で、今日は丁度一週間振りの病院行き。
医者ははっきりとは云わなかったが、順調に回復していると思う。
明後日の8日に装具屋が来るので、踵に体重が掛からない様にする装具を作ろうと提案があった。この装具を使えば松葉杖は要らなくなる。出来上がりは来週の15日になるとの説明だったから、後一週間で、体重さえ踵に掛からなければ、松葉杖をしなくても歩けるまでになっている、と解釈出来る。

残念ながら、8日はどうしても仕事を休むことが出来ない。と云うよりも入院の勧めを断ったのも、この8日の会議の資料造りがあったのが理由。従って、15日に注文して22日からと云うことになる。
1日でも早く、松葉杖から開放されたいが、仕方がない・・・・。

そう云えば今日の風は春一番らしい。
そのニュースを聞いて、痛みに耐えて運転している時に見た咲き始めの川津桜を思い出した。