<道楽工房>

2005年5月10日

2002 年5月連休明け、北海道から戻って来て、狭い家に娘も含めた三人での生活が再開された。しかし、私が札幌から持ち帰ってきたものの収納場所がなくなっていた。 荷物は開梱されずそのままの状態にあった。勿論、鉄道模型関係もその中に入っている。 「模型蒸気機関車の製作」を期して帰っては来たが、着手出来るようになるか見当がつかなかった。 会社から帰って、荷物を見るたびに、家内や娘に聞かれないように、一人ため息をついた。 この3DKの公団住宅に家内と二人で暮らすにしても、自分専用の工作室を持つことは不可能だろう。 永年、書斎を持つことが私の夢であったが、3DKの住宅に自分専用の部屋を持つことなど、それこそ「夢のまた夢」。 テレビを横になって見るための1畳とパソコンラック前の0.5畳、都合1.5畳程のスペースが、自分専用の居場所であり、これが現実であった。 仮にこの「夢のまた夢」が叶ったとしても、退職後、家内と二人この狭い部屋で四六時中顔を合わせなければならない事態になると、恐らく毎日喧嘩が絶えないことになるだろう。 何か対策が必要である。 家内にしても亭主が毎日家でゴロゴロしているのを見たくはないだろう。 私自身にしても世間で云われているような「濡れ落ち葉」になることは、真っ平ゴメンである。

亭主の私は土曜・日曜以外は殆ど宿舎としてしかこの家を使ってはいなかったし、更に、土曜日にしても好きな釣りで殆ど家にいることはなかった。 とすると家にいるのは、祝祭日を入れても1年の内60日程度が精々だろう。 これに対して家内は1年365日を家で過している。 この地域やこの家に深く根付いているのは家内であって、サラリーマン生活を30年余りを続けて来た我々亭主族は、所詮、根無し草でしかあり得ない。 自然の成り行きとして、家は家内の城になってしまうことは当然の理である。 賢明なサラリーマン諸氏は、ここを間違えてはいけない。その家内の領域に、突然、大の男が大きな顔をして入り込むのは、幾ら出来た女房殿でも面白くはなかろう。 当然のことである。 これを引っくり返そうなどと馬鹿なことは考えない方が賢明に違いない。 今や、家庭の実権は完全に女房の手にあるのだから・・。

荷物はなかなか片付かない。「模型」にも手を着けられない。 内心イライラしていると、同じ団地の中に空き部屋が売りに出されたと云う。 早速見学に行くと、綺麗にリフォームされておりしかも窓からの眺望も良い。 一家三人が気に入ったが、しかし、値段が高過ぎる。 後ろ髪を引かれる思いで諦めることにした。 それから暫くして、その隣りの棟に空家が出ると云う不動産屋からの連絡。 今度は現状のままの引渡しが条件で、値段もマァマァ。 家内と娘の二人は何か引っかかるものがあった様だが、購入することにした。 これでやっと念願のマイ・ハウスならぬマイ・ルームが持てる。 お世辞にも家では愛想が良いとは云えない私も工作部屋を持てると思うと、一人ニヤつくのを禁じ得なかった。 7月中旬の受渡しが待ち遠しかった。

工作部屋が出来ることが確実になったので、いよいよ旋盤の選定に入った。酒井特殊カメラ、寿貿易等三社からカタログを取り寄せた。 私自身は東急ハンズで見た、Proxxonが気に入っていたのだが、安くはない買い物。

7月中旬、無事引渡しが完了した。「現状引渡し」が条件であっただけに、若干の手入れは必要であった。 住むのではないのだから、最低限にしようと三人で話し合った。 畳の入替え、工作部屋となる私の城のフローリング・・・、こんな所で良いと私は考えていた。 だが、家内と娘の最低限は私のそれとは違っていた様だ。 壁に始まって天井の塗り替え、しかも色がなかなか決まらない。 台所の流しの入替え等々。 綺麗な部屋になることに越した事はないが、住む訳ではなし適当な所で手を打ちたいとする私の思惑とは違う方向にドンドンと流れて行く(この過程でも、家内や娘とスッタモンダがあったが、ここは省略)。 結局、8月には工作室に移転と考えていたのが、受渡しから略一月以上も後になってしまった。

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